「真田太平記:4」

真田太平記

池波正太郎原作の代表シリーズのひとつです。
真田一族は、戦国時代の地方豪族から江戸時代末まで、地方の小藩で生き続けた。
関ヶ原の戦いで破れた、昌幸・幸村は命は救われ、九度山に移された。
信之は上田城に入るが、秀忠の真田への恨みで動きが取れなかった。
昌幸は、ふたたび世に出ずに死去した。
幸村は、昌幸の意志を継ごうとしていた。

登場人物:3

徳川家・家臣
徳川家康 (中村梅之助):征夷大将軍となる。
徳川秀忠(中村梅雀):徳川二代将軍。
本多忠勝(加藤武):家康の重臣で稲姫(小松殿)の実父。
本多正信(田中明夫):家康の側近。
本多正純(伊東達広):家康の側近。正信の子。
板倉勝重(増田順司):京都所司代。
豊臣家・家臣・他
豊臣秀吉(長門裕之):天下統一。
豊臣秀頼(円谷浩):秀吉と淀君の子。
高台院(津島恵子):秀吉の正室。
淀君(岡田茉莉子):秀吉の側室。
石田三成(清水紘治):秀吉の側近。
前田利家(御木本伸介):加賀藩主。
大谷吉継(村井国夫):於利世の父。
毛利輝元(中山昭二):西軍の総大将。
宇喜多秀家(石濱朗):関ヶ原で死去。

第25回:1985年10月9日:「家康襲撃」:演出・大原誠

慶長5年9月14日、上田城は徳川軍に囲まれており向井佐平次(木之元亮)が草の者を取り仕切っており、又五郎(夏八木勲)らが関ヶ原で家康(中村梅之助)の命を狙っていると聞いた昌幸(丹波哲郎)と幸村(草刈正雄)は何も出来ないのが歯がゆかった。
長良川の浮橋を渡る家康を行列にもぐり込んだお江(遥くらら)が狙うが一歩及ばず重傷で逃げた。
又五郎(夏八木勲)らは徳川の友軍を装い家康を襲うが影武者だった、家康は大垣城付近に陣を引き、大垣城の石田三成(清水紘治)は東軍の速さに驚いた。
上田城の樋口角兵衛(榎木孝明)は、信幸(渡瀬恒彦)を狙い砥石城に向かうが佐平次の使いが先に知らせた。
家康は山中大和守俊房(佐藤慶)に西軍を大垣城から出させる指示を出し、東軍が佐和山から大阪を目指す噂を流すと三成は城を出て陣をはる指示を出した。
お江は重傷で近江忍び小屋に逃げ込み、佐助(中村橋之助)に伊吹忍び小屋に失敗を連絡させるが間に合わなかった。
家康は秀忠軍を待てないと、関ヶ原に陣をはった。
又五郎は大谷吉継(村井国夫)を訪れて秀忠軍が間に合わないと伝えたが、吉継は西軍の中にも戦があると答えた。
角兵衛が砥石城を訪れ、信幸は向かい入れて斬り込みを防いで、一人の生死で徳川は変わらぬと言った。
三成は自身の人望のなさを嘆き、どこかで狂ったと感じ、9月15日朝決戦が近づいた。

第26回:1985年10月16日:「決戦 関ヶ原」:演出・大原誠

家康(中村梅之助)は平地に陣をはり霧が晴れたら斬り込む討って出る指示を出し、又五郎(夏八木勲)らは森にひそんで待った。
砥石城では仙石秀久(多田幸男)が信幸(渡瀬恒彦)に上田城攻めを誘うが大勢に影響なしと断った。
関ヶ原に鶴翼の陣の西軍と魚鱗の陣の東軍が向かい合い、闘いが始まるが小早川秀秋(田代隆秀)と南宮山の毛利秀元(森卓三)・吉川広家(関篤)は動かなかった。
一進一退が続き、家康は小早川秀秋に鉄砲を撃ちかけ小早川秀秋は裏切り大谷吉継(村井国夫)を攻めて吉継は自害し、西軍は総くずれになった。
島津義弘(早川雄三)は家康を攻めると見せかけて伊勢路に逃亡し、又五郎は家康を奇襲するが山中内匠長俊(戸浦六宏)と相討ちで死に山中大和守俊房(佐藤慶)は死んだ又五郎をめったきりした。
佐助(中村橋之助)・お江(遥くらら)らに西軍敗退のしらせと又五郎行方不明の知らせが入り、知らせが上田城に届くと昌幸(丹波哲郎)は何故だと絶句した。
大津の家康にようやく徳川秀忠(中村梅雀)が追いつくが、激怒したが本多忠勝(加藤武)のとりなしで命は助かるが真田を逆怨みした。
お江(遥くらら)らは又五郎の死体を見つけ弔い、京に忍び宿を作ろうとした。
山中大和守俊房は3度も真田忍びの襲撃を受け、仕組みを変えて立て直しを図った。
家康は大野修理(細川俊之)・淀君(岡田茉莉子)に秀頼は無関係とし、西軍の処分に入った。
本多忠勝から信幸に急遽上洛指示があり、処分の話と悟った。

第27回:1985年10月23日:「切腹命令」:演出・国広和孝

大阪に着いた信幸(渡瀬恒彦)は本多忠勝(加藤武)と、家康(中村梅之助)に昌幸(丹波哲郎)・幸村(草刈正雄)の命乞いをしたが家康の切腹に意志は固かったが忠勝の秀忠(中村梅雀)を許し、娘婿の父を許さぬのなら覚悟があるとの意志で家康は切腹は許した。
忠勝の使者が上田城に訪れ、昌幸・幸村へ上田城の明け渡しと高野山への蟄居を知らせ受けるが、上田城の事を心配した。
昌幸は矢沢頼康(大谷友右衛門)に信幸に使える事を命じるが、角兵衛(榎木孝明)は同行を主張した。
伏見の真田屋敷で信幸は鈴木右近(岡村菁太郎)に2人は高野山から九度山へ蟄居と伝え、家康から信幸に上田城を領地とする事と2人の高野山への送り届けの指示が来て、於利世(中村久美)に所に立ち寄り高野山へ連れてゆけると言った。
昌幸は上田城に信幸が入ると聞き安堵し、お江(遥くらら)の指示で城内に忍びこんだ佐助(中村橋之助)は昌幸・幸村へ家康暗殺の失敗と又五郎(夏八木勲)の死を伝え、幸村は向井佐平次(木之元亮)ともよ(音無真喜子)に会い知らせる事とお江への書状を託した。
10月3日、信幸は上田城に到着した。

第28回:1985年10月30日:「さらば上田城」:演出・高橋幸作

信幸(渡瀬恒彦)は上田城で昌幸(丹波哲郎)・幸村(草刈正雄)から城を引き取り、信之と改名を告げた。
昌幸は高野山への同行者を告げ、後に残る者を信之に託し矢沢頼康(大谷友右衛門)は信之に使える事になった。
お江(遥くらら)に会った幸村は、生きる事を願いお江は高野山へも行くと答えた。
翌日、一行は上田を立った。
馬場彦四郎(角野卓造)が上田城主となった信之に、滝川三九郎(三浦浩一)と於菊(岡田有希子)を案内し三九郎は於菊と結婚したと言い信之は怒るが小松殿(紺野美沙子)が取りなして婚儀を行うが、家来でなく自由に生きると言った。
昌幸らは高野山から九度山に移り、粂(浅利香津代)が昌幸に訪れ飯炊き女となった。
京の印判屋の真田の忍び宿の隣りに、足袋屋が出来て半兵衛(加藤和夫)とお才(円浄順子)と伊平(門田俊一)が挨拶に訪れたが実は山中忍びの宿だった。
山中大和守俊房(佐藤慶)は伴長信(待田京介)を内匠の後継とする。
徳川秀忠(中村梅雀)が将軍になり上洛するが、片桐且元(山本耕一)の秀頼上洛を淀君(岡田茉莉子)は拒んだ。
家康(中村梅之助)は豊臣の出方を見ており、福島や加藤清正(竜雷太)の動きに注意していた。
本多忠勝(加藤武)は信之に、秀忠が将軍になり昌幸らの蟄居解除は難しいと連絡した。鈴木右近(岡村菁太郎)は京で向井佐助(中村橋之助)を見かけて、信之に九度山に不穏な動きありと知らせた。

第29回:1985年11月13日:「闇の渦」:演出・永野昭

慶長15年2月、お江(遥くらら)は京の浪人の増加を感じ、佐助(中村橋之助)は長曽我部盛親(久富惟晴)を目撃し尾行してお通屋敷に入るのを見、隣の足袋屋がそこを見張っているのを知った。
九度山で昌幸(丹波哲郎)は加藤清正(竜雷太)の本心を知るために奥村弥五兵衛(真田健一郎)に熊本城の探索を命じた。
お江たちは人数を増やし、お通屋敷と足袋屋を見張った。
本多正信(田中明夫)は清正に熊本城修復を詰問するが役目遂行のためと答え、配下の飯田覚兵衛(鈴木昭生)に書状を送った。
佐平次(木之元亮)から九度山に贈答品が届けられるが昌幸は小松殿(紺野美沙子)からと知っており令状を出し、信之(渡瀬恒彦)はそれで事情を知り小松殿に礼を言った。
お江らは足袋屋の伊平(門田俊一)を殺害して、印判屋を放棄した。
清正はお通を頼り、昌幸は東西の動きを知りたがった。
信之に本多忠勝(加藤武)重病の知らせが入り、江戸に向かった。

第30回:1985年11月20日:「暗雲九度山」:演出・田島照

信之(渡瀬恒彦)は本多忠勝(加藤武)を見舞い、忠勝は昌幸(丹波哲郎)・幸村(草刈正雄)の赦免は無理で将軍家の命令以外の事はしない様に告げた。
家康(中村梅之助)は駿府城で本多正信(田中明夫)らと上洛の打ち合わせをするが、秀頼上洛の見込みは少ないと考えた、本多忠勝死去の知らせが入ると落胆した。
11月に昌幸(丹波哲郎)は病で寝込み、上田では加江(島田果枝)が弟に通りの前に出来た呉服屋・喜六(上田忠好)が甲賀の忍び宿と伝えた。
お江(遥くらら)と弥五兵衛(真田健一郎)は東西融和になると真田本家の出番が無くなると秘密に家康暗殺の計画をした。
幸村はお江と会い、様子が変と気づき家康暗殺計画を知ると、戦場以外は望まず信之に迷惑と止めた。
清正(竜雷太)は浅野幸長(本田博太郎)と秀頼に会う手段を相談した。
信之は上田に甲賀忍びが入っていると聞き秀忠(中村梅雀)の指示と思い、京の鈴木右近(岡村菁太郎)から昌幸重体の書状が届くが動けなかった。

第31回:1985年11月27日:「それぞれの悲願」:演出・高橋幸作

昌幸(丹波哲郎)は小康状態だが大阪城の絵図面を度々見てもう戦う機会がない事を知り、幸村(草刈正雄)も自分も同様になる可能性を思った。
清正(竜雷太)と浅野幸長(本田博太郎)は秀頼(円谷浩)宛の書状を大阪城内の浅野忍び・永井百助(高原駿雄)に託し、秀頼との面会に成功した。
山中大和守俊房(佐藤慶)が猫田与助(石橋蓮司)に真田忍びをあなどるなと言い残し死んだ。
掛川付近でお江(遥くらら)は弥五兵衛(真田健一郎)に家康暗殺を幸村に止められた事を告げた。
東海道に慈海(福田豊土)を中心に家康(中村梅之助)の警護の為に多数の忍び宿を設けて猫田与助や杉坂重五郎(丹波義隆)が見張っていた。
お江が山中忍びに見つかり弥五兵衛に助けられるが、増員した山中忍びに別れて逃げて弥五兵衛は迫小四郎(寺杣昌紀)に討ち取られた。
信之(渡瀬恒彦)は上田の呉服屋を自ら訪れ、配下に穏便に立ち退かす方法を考えさせたが、江戸から書状で警護に200名と人質に長男・真田信吉(伊達修)を要求された。
3月、信吉は江戸に向かい、信之は小松殿(紺野美沙子)にまだ序の口の要求と告げた。
家康が上洛に立った。

第32回:1985年12月4日:「昌幸死す」:演出・大原誠

慶長16年3月、家康(中村梅之助)は上洛し板倉勝重(増田順司)に豊臣秀頼(円谷浩)を大人として扱うと伝えた。 清正(竜雷太)と浅野幸長(本田博太郎)は家康が秀頼上洛を言わないか考え、佐助(中村橋之助)は昌幸(丹波哲郎)と幸村(草刈正雄)に秀頼上洛の動きがないと伝えた。
片桐且元(山本耕一)が家康に呼ばれ、清正・浅野・高台院(津島恵子)が大阪城に行き秀頼上洛を勧め淀君(岡田茉莉子)は反対するが、家康が使者を送り人質を出しても良いと伝えて、秀頼上洛が決まった。
京の忍び小屋に戻ったお江(遥くらら)は幸村に秀頼上洛を伝え、角兵衛(榎木孝明)の妙な動きと弥五兵衛(真田健一郎)の死も伝えるが、昌幸には言うなと幸村は答えた。
秀頼上洛し家康と対面し、その後清正は秀頼をもてなすが、伴野久右衛門(北村総一朗)は片山梅春(多々良純)に清正を毒殺させた。
上田で馬場彦四郎(角野卓造)は忍び屋敷の呉服屋を火事で焼き、逃げた喜六(上田忠好)を殺した。
昌幸が65才で死去し、佐助>鈴木右近(岡村菁太郎)>信之(渡瀬恒彦)と伝えられた。

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